5月9日は母の誕生日。
1949年生まれだから、66歳か。
最近は、66歳なんてほんと若いのにね。
2008年8月に他界してから、7回目の誕生日。
母は、目を見張るほどの美人!と、言うわけではないけど、何とも言い難いオーラがあり、誰もが一目見て、一言話したら忘れないと言う、すごく不思議な魅力のある人だった。
それは、周りに調和できない類のものでは無く、奇抜さを伴うものでも無かった。
私も、かなり幼い頃から、何が理由なのかは理解できないけど、うちのママは普通のママと違うと感じていて、それを、子供心に優越感として捉えていたように思う。
そして、ずーっと、母は私の憧れであり、今でも、一番のお手本だ。何かあると、ママだったらどうしているかな?と考えるのは、もう癖みたいなものになっている。
誕生日や母の日が続くこともあり、母のことを思い出す機会が、おのずと多くなるわけで、5月のこの時期、ゴールデンウィークも含め、ちょっと鬱っぽくなるのが通例だった。街中に溢れる母の日の宣伝、テレビの中の母の日の宣伝、ネットの中での母の日の宣伝に、私にはもう関係ないと、言われているようで。
ここ何年かは、かなり落ち着いてきたし、段々、大丈夫だと思えるようになってきてはいるけれど、それでも、やはり、色々な事を思い出す機会は、いつもより多い。
プリントした母の写真はたくさんあるけれど、今みたいに気軽に携帯で動画が撮れる時代ではなかったので、動画はもちろん、声の記録も一つも残っていない。
母も、母親を早くに亡くしている。母が20歳ぐらいの時だったと聞いている。
母は、15歳頃からハワイに移ってしまったので、母親の晩年は一緒に過ごせておらず、記憶も小さい頃のものが多かったようで、いわゆる、おばあちゃん、の話を聞くと、いつも母の子供時代の話をしてくれた。
でも、写真も1枚しか持っていなかったけど、「思い出はね、撮るものじゃなくて、(胸に手を当てて)此処で覚えておけばいいのよ。」と、いつも言っていた。
そのせいか、私も、写真を見返すより(辛くて見れなかった)色々なことを思い返して、その、思い出に浸るほうが今でも多いように思う。
母が思う、母の味と言うのが、古いたくあんを水にさらして塩抜きして、それを甘辛く煮付けるものだったらしく、母もよく作っていたけれど、いつも、どうしてもおばあちゃんと同じように作れないと言っていた。
私も、料理をするようになって、母の味を思い出しながら、そのたくあんの甘辛煮とか、高菜入り焼き飯とか、おいなりさんとか、焼きそばとか、おからとか、煮物とか、思い出せる限り色々と作ってみてきて、味の方向性は似ているけど、なんか、今一つ違う、といつも思う。
でも、そんなものかも。だって、自分で作っても、母親の愛情が入ってないし。
それだけで、別物、特別。
ママちゃん、あたしも今は頑張って、毎日飯作ってますよ。
そうそう、私の一番の母の味はカレーだな。
誰もが絶賛するママちゃんのカレー。
私は、いつも食べ過ぎて、おなかが菱型になった~って、言ってたよね。
おなかが菱型って、食べすぎた時の二人の合言葉なんだよね。
Happy Birthday & Happy Mother's Day
例え、会えなくても、母の日は、ママちゃんに、ありがとうを言う日って事は変わらないんだよね。
そして、66歳になっても、素敵なおばあちゃんだったに違いないね。昔から60過ぎたら髪の毛紫に染めるって言ってたけど、多分今でも白髪殆どないと思うよ。ひっつめ黒髪がやっぱり、ママちゃんのトレードマークじゃない?